るい動物病院のブログ 知多半島エリアで往診専門の動物病院をしています
ペットの”安楽死”ということ
2017年08月10日 (木) | 編集 |
8月14(月)、15(火)日は、終日休診となります。

今回はとりとめのないつぶやきです。

私が小学校高学年か中学生の時の話なので、もう30年以上前の話です。

学校から帰ってくると、テレビでは、夕方の地域の情報番組が放送されていました。
とある動物病院の密着取材で、他の内容は全く覚えていないのですが、何らかの事情でウサギを安楽死する、、、という場面でした。
映像的には、吸入麻酔で寝かせて・・・・というところしか流れていないのですが(というか、断片的にそこしか覚えていない)、その処置の後に、その動物病院の獣医さんがこう言いました。

『僕はね、、、こんなことをするために獣医になったわけじゃないんですよ・・・・』

自分がその当時、獣医を志していたのかさえ覚えていませんが、その場面だけ未だに忘れることができずにいます。


安楽死についての考え方は獣医師それぞれに違いますので、動物病院によっては、安楽死をしないと決めているところもあるようです。良し悪しについては、私がどうこう言うことではないと思っています。

私は開業当初、安楽死はしない方向でいこうと、その用意を備えていませんでした。
しかし、往診をしていくにつれ、やはりそれでは済ませされないのかな、と思い、現在は準備を備えています。

でもね、そんなことしたくないんです。
なので、初診でいきなり安楽死をしてほしいという依頼に対しては、私は基本的にお受けしていません。

死生観や価値観は人それぞれですので、これは私の考え方です。

人や犬・猫・そのほか哺乳類が生まれてくるとき、お母さんの産道を通ってこの世に生を受けます。
自分の体よりも狭い産道を必死にギュ~~っとくぐり抜けて出てくることで、交感神経が刺激されて産声を上げることができるのです。
なので、犬や猫の帝王切開で生まれてくる場合、その窮屈な刺激がないことですぐに自力では鳴けず、人の手で背中を擦って刺激する必要があります。

産む”母体”には命がけの”産みの苦しみ”があるのですが、生まれてくる”子ども”にとってもこの世に生を受けるということは、命がけの作業なのではないかと思うのです。

なので、そんな命がけで出てきたこの世から去るときが来た時、簡単に気持ちよく最期を迎えさせてくれるはずもなく、最後の最後までまさに”命がけで”一生懸命生きるのではないのかなと思い、その辛い場面や苦しい場面も含めて、最後まできちんと見届けるということが、生き物を飼った飼い主の責任ではないかというのが、私の基本的な考えです。

ただ、家庭の事情というのは、本当に本当に様々で一概に否定的に捉えることもできません。
気軽に安楽死の選択をする飼い主はおそらく一人もいないだろうと思います。
特に往診はお宅に伺うという特殊性から、『動物の診療をする』ということだけを考えたら、見なくてもよいかもしれない個々それぞれの”家庭の事情”というものが必要以上に見えてしまうため、頭ごなしに否定もできず、やむを得ず処置が必要になった時は、ただただ悶々とした思いでいます。

こうやって、ぶつぶつとブログを書いているということは、現在、自分の心の中で悶々とした状況になっている、、ということなのですが。。。

ただ、飼い主とペットがやむにやまれぬ事情になったとき、やはり最後の砦になるのは獣医師ではないかとも思っています。
だから、最後の最後がとても苦しい状況になることが予想される時にには、安楽死を含めた選択肢を飼い主さんに説明することもあるのが事実です。


でも、私が自らその処置をするときは、30年前に見た、あのテレビの断片的な場面と、あの獣医さんの言葉が必ず私の頭をよぎります。

飼い主さんだって、この子が仔犬の時代に家族そして迎え入れた時には最後にこんな形になるなんて、絶対望んでいないだろうな、とか、
この子と飼い主さんとの間には、どんな楽しい思い出があったのかな、とか、
私の知らない飼い主さんとペットとの関係を勝手に想像したりして、どんな思いで決意されたのかな、とか、いろいろ考えます。


そして自分の心の中で毎回つぶやきます。
『でも、私はこんなことをするために獣医になったわけじゃない・・・』
毎回泣けそうになります。

まとまりのない分面でスイマセン。今回はほんとに私のつぶやきです。
多分、この場面に遭遇する度に、一生悶々とするんだと思います。難しい問題です。






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